割り当てられた土地と資材

 いい歳して親のせいにするなんて、というのはもっともであり、いい歳したらいい加減自分の行動の累積によるいまの自分に責任を持つべきである。が、やはりこれを当然のように他人にいえてしまう人というのは、幸せなご家庭で育まれはったんですなあ、という気もして、ここにはもうどうやったってわかりあえない壁みたいなんがある。

 

 うまくことばで言えればいいのだけれども、やはり親のせい以前の問題として、いい歳をして「いまの自分がこんなにだめなのはこうこうこう言う理由で」なんて語っている姿というのは語れば語るほど内容の質とは関係なく、量に比例して情けなさがマシマシになってくるのであって。

 

 しかし、「自分の行動の累積」の責任をとる、その一つ前の行動を生むことになったその一つ前の、そのまた前提となる一つ前の行動……とさかのぼっていくとあまり物心もついてないあたりからすでに焼け野原であって、そこからスタートせねばならなかったことに、何かあるたびにそこに思考が戻ってきてしまうことに、常に見ている世界がその焼け野原からの光景であり、それを前提とした行動を積み重ねるしかなかったことに、どこまで責任を取れるのだろう、

 

 というのはやはりだんだん語れば語るほど情けなさが増大してきていて、別にいまとなってはそんなにリアルな気持ちで親を恨んでもいない、といっても、だからといってそれはそれとしてやはり焼け野原に草は生えないし、ついた傷跡はいまここにありまだ治らない傷からの血はいまここに流れている。

 

 幼いころから、成長の過程で、皆が自分に与えられた敷地で、自分の裁量で自分の時間で、自分なりの試行錯誤で耕し種を植え土台を組み少しずつ家を立てようとしていたその時間、横から手を出され気まぐれに火を放たれ頼んでもいない種をまき塩をまき、土を奪い去りヒステリックな怒声を終始浴びせた、その乾き荒れ果てた地に、ようやく大人になって、途方にくれながらようやく手にした割り箸のようなものを突き立ててもそれはすぐに倒れる。繰り返し突き刺して倒れないうちに二本目を刺し、三本目をさす頃にはまた倒れ、周りには皆が順当に時間をかけ建てた家が立ち並び畑になった実には朝露が輝いている。それらを眺めては途方にくれる。

 

 どこかの時点で、もう組み立てるのは諦めて紙に適当に家状のものを書いて世間様には家のように見せかけることを選んでしまう。引きつった笑顔で家のふりをする。でも少しでも風が吹くとそれもすぐにめくれ、思考は感情は感覚はまた荒地に立ち返る。何度も何度もそこに同じ水が流れ、深い溝ができ、よほど強い意思がないとその流れを逸れることは難しい。そして生来そんな強い意思とともに生まれていたらたぶんどんな親の元に生まれてもそもそもこんなことにはなっていないのだ。生まれと育ちとその都度の意思の弱い逃げだけを積み重ねた素敵なお庭。周りの人が自分なりに自分の裁量で耕し家を立てていたのだということを知った頃にはもう遅い。

 

 もちろん自分が悪くないなんて思ってはいないけれど、この結果のどこまでを自分が受け止めねばならないのか(全部だ)、でもだってあんなに昔自分が何かをしようとするたびに決定権を奪い罪悪感を植え付け行動を制約し何もさせなかったではないか。そうやって起こした根腐れについて、自分でなんとかするしかない、のは事実としてはわかっていても、まともに育てず放置された幼い心は付いてはこない、心で実感しない限りは行動もそうは変わらない、そして大人になってもうその自分の成長を阻害した手がなくなっても、同じところをぐるぐると回っている。心をヤスリのような地面の上に引きずって歩きながら。

 

 どうしようもないけれどただただ人に話を聞いて欲しい、という時期はあって、それがないと進めない、進む準備ができない、というふうに、一部の人はたぶんそういう風にできている。それは聞かされる側にとってはただの負担だから、聞いてくれる人がいた場合は運がよかったね。私は運が結構よかった。

 

 でもやっぱりふとした時にすぐ足下を見るとやはりそこには焼け野原に割り箸を何本か立てただけの狭い荒地があり、思考はまた同じ溝をドブのように流れ、私は乾いた地面で地団駄を踏んだりするけれど、このままこの敷地とともに生きていくしかないのだね。

 

 もうこの土地はいらないから返上しようよ、リセットしようよ、と、もうずっと思っているのだけれど、その申請書への判子を押す勇気すらもなくていまもここにいる。