腐るのを待つばかり

 結局起きている間のほとんどは嫌いか不得意かしかない地獄のような仕事をしているわけだから、一日の空いている時間をつなぎ合わせてそれが「ほら6時間も空いている時間があるではないか」などと言われても自己嫌悪や焦燥感や混乱に塗れてスマホまとめサイト読んだりしている間に終わるのである。仕事は害悪。ただただ心が辛いだけで終わる日々。どんなに100癒しても毎日マイナス6万くらいの赤字が出ているわけです。心の健康の。

 

 生きている間、もちろん浮き沈みはあるけれど、ずっとベースに感じている、人生に対する感想としては「もう許して」以外には特にない。なんでこんなにつらいのか。ずっと混乱の中を生きており、あらゆる世界との連絡はうまくいかず、社会の一員として入り込む割れ目も見つからず、へらへらと普通のふりをして一日が終わる。ずっと脳がどんよりもわっとした中に過剰な情報と過剰なToDoの嵐が吹き荒れ、どうしていいかわからずに立ち尽くす数秒の間には自己嫌悪の澱みが足元から湧き上がってきて脳を披露させる。いつもがっかりした大人たちの顔があった。

 

 許されたい、助けてほしい、もう放っておいてほしい、何もしたくない。頭を掴まれてアスファルトですりおろされていくような日々、日常のサンドバッグになってそれをどうするのかも次どうするのかも考えられない日々、ときどきくる凪があったとしてもそれは逃避にしか使えない。ずっと眠い。生きている間ずっと寝ていたい。

 

 それなりに得意なことも、良い点も私にはあるのかもしれないけれど、それらは、社会で、人の間で生きていくのに役に立つものだけをおそろしく器用に避けて存在している。「役に立たないけどいいやつだね」というほどいいやつではなく、むしろ嫌なやつで、その自分を開き直るほどの強さは持たず、人付き合いが苦手な分世界に対する独特の視座があり芸術的才能が、というな道はもちろんなく、すべての素敵からは遠く、壊れた脳は延々と同じ失敗や怨恨を繰り返し才能するのがとっても得意。

 

 人類はさまざまにばらばらな分布した特徴を持って生まれ、そのなかでその時代その地域の状況に適した特徴をたまたま持ったひとたちが素敵に生きていけているという中で、「大外れでもないけどなんだかちょっとうまいことちょうどいまここにはいらないやつばっかりだね、ざんねんだったね、またこんど」っていうことらしくて、今回の人生はもうそういうことなので、「またこんど」に期待をしながらとりあえず重力と時間に従って腐るのを待つばかり。