猫を撫でる、進捗はない

 単発の「したいこと」をつぶしていくのは、それはそれで億劫だけれども、なんとかなるのである。問題は継続的なもの、技術であったり姿勢であったり、そういう日々の積み重ねなのである。

 

 脳がいつも詰まっている気がして、頭が働かない。働かない、働かない、と毎日行っているのであるから、頭が働いたことなど実はなく、というか、この詰まった状態が通常なのであって、つまりは低いIQにいい加減慣れなさいよ、という話なのかもしれない。酒を飲んだ翌日は如実に詰まりがあって、決断がなにもできずにスーパーの商品棚の前でぼんやりしていることなどがあります。でも、酒をやめたところでそんな変わんなかったもんな。

 

 一番どうにかしなければならいのが仕事である。いまの仕事のまま、もう少し最低ラインはクリアせえや、というのと、そもそも仕事を変えないとまずい、というの。しかし人生自己嫌悪を一貫した私には、クラスで二人組組んで、というときから誰も受け入れてくれないと思ってただただじっとすることしかできなかった私には、転職活動はあまりに難しい。家族でも学校でも職場でも特に必要とされていない人間が、どこかの企業から必要とされる可能性は。

 

 じゃあ必要とされる人間になりなさいよ、という話で、それでなれるのであれば人類みなもっとハッピーなのである。

 

 いつも鼻の下まで水がせり上がっているような気がしている。とにかくいまをやりすごそうと、一人の時間はスマホの漫画や短調なゲームで自己嫌悪や疲労を塗り潰し、日中はとにかくみんなから注目されないように、しかし周到に先を読んで準備するほどの心の余裕はなく、常に目の前のトラブルを目の前で対処している。何も決められない。

 

 心の可塑性が生まれつきどうもとても悪く、何かあってそれをクリアしたときに、「自分はこんなことできるんだ!」と素直に受け入れるひとは成長などもあるのであろうが、私はクリアというかとにかくそれをやり過ごすことしか考えていないから終わり次第元いた殻に閉じこもる。考えていることが小学校低学年からほとんど変わっていない。

 

 覚悟、というか、自分の人生を自分で引き受ける、というのが寛容なのであろうなあ、とは思ってはいるが、どうにもこうにもピンとこない。この人生が、自分のものであるということが。ほんとうに100%私の裁量で、私が100%責任を負えるほど、なんかさせてくれたっけ、この人生、とぼんやりしている間に大人になり、気がつけばみんなまっとうに成長して自分の裁量で自分の人生を生きている。序盤で判断や裁量の練習を積めなかった場合はどうしたらいいの。じっと手を見る。いま100%私の裁量で好きにできたら、真っ先に捨てるな、こんな人生。まじ死骸だって適当に燃えるゴミの日に出して墓すらも残して頂かなくていいし、痕跡も何もかも消してから消えたい。

 

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 きょうも墓を散歩した。北海道開拓始祖、と掘られている墓が、東京の墓地にある。球形の石が地面に埋まっているような、半球の石が置いてあるだけの墓がある。文字は掘られていない。薄い石の板を割って短冊状のようなしたものを地面に突き立てている墓もある。異常に大きくて見上げるような薄い石の板。台風の際に倒れたりはしないのだろうか。

 

 友達が家のテレビ台を特注していて驚いた。無印のベッドを置いて満足し、そのほかに特に家具を買うことなく、雑多なものが床に散らばっている私と違い、彼には家のデザインに明確なヴィジョンがあり、テレビ台すらも既製品では彼の希望にそぐわず、自分でデザインをしたのである。彼のような人が、ああいう墓地に個性的な墓を立てるのであろうか。コントロール欲の強い人は仕事もできる気がする。意志の力も違う。

 

 常に日和見的に生きてきたから、自分で誰かに意見をしたりすることがほとんどない。特にしたいこともないし、世界に対して「こうあるべき」ということもないから、「こうです」といわれたら、「そうなのですか」と、ただこまったりしてしまう。自分が知らないことでも「それはちがう、こまるのだ」というところから、交渉がはじまるらしい、ということまでは気がついたが、「ちがう、こまる」ということに、だいたい話が終わった1時間後くらいに気づく。

 

 墓地には有名な現代詩のひととその妻の墓があり、その墓までは辿りつかなかったが、その案内にしたがって歩く途中で黒猫がいた。腰を落としてみると慣れた猫で、積極的にズボンに頭や尻を擦り付け、「ここを撫でろ」というような動きをする。尾の付け根を撫でていると、思いの外硬くて驚いた。気持ちがいいらしく、仰向けになって腹をこちらに向ける。動物にはだいたい警戒されるので、ここまで無防備だと不安になってくる。この猫は何かの病気なのではないか。寄生虫に寄生されていて、人間を媒介とすべく、本人の意思に反してヒトに近づくようにコントロールされているのではないか。そこまでいかなくとも、おびただしいノミ・ダニに感染していて、それで全身が痒いだけなのではないか。ズボンに身体を擦り付ける仕草は、それらの虫をこすりつけていたのでないか。とはいえ無愛想なままごろごろと地面に寝そべる猫はかわいく、しばらく撫でてから、長い間水で手を洗った。今日は家に帰るや否や服を脱ぎ洗濯、体の洗浄をするであろう。