まず爪を立てます

 なんでこんなことになったのか、自分でもようわからんのである。

 

 年を取るのだから、取ったのだから、もう少し何か剥けている予定であった、もう少し何かめくるめいているはずであった、とおもうものの実際にはあさ起きてよる眠るだけでもう息が切れている自分は、部屋の片付けもできずに生活は何もととのわずにただ毎日に引きずられて、前に、終わりの方に進んで行く。この調子で、加速度的に身体は弱っていくのであろうし、それらの解決も日々の些事に追いやられてあるいは代謝の限界もあってままならず、そのうちに一年が終わっている。甥っ子は知らぬ間に立ち、日しゃべり、保育園に通い始める。せめて、もう少し何か、確定しているつもりであったのだ。

 

 少し止まりたい、休みたい、立ち止まって考えたら、充分な時間があれば自分の頭だって何か思いつくはずなのだ、何か光が見えるはずなのだ、と、もう充分に時間を無駄にしてきた結果のこのあさであり、そのあさのぼんやりした頭で雑踏をあるき、ああ、あの赤信号で休める、少し立ち止まれる、という交差点は着いてみたら信号は青に変わってて。

 

 30て。30なのだよ。もう少し何か、固まっていても、良いのでは。

 

 日々はもうあまりにもつるつるした曲面であってその筒の中を落ちていくばかりであり、しがみつこうにも手指だってもはや乾燥していて指紋を貼り付けるだけの脂もない、その壁にはもう何のしるしも残らない。だからまず、爪を立てます。

 

 自己を啓発してゆくのであります。