社会生活のリハビリ

 成長ってのは、なんというか、自分の「普通」のレベルが上がること、というか、なんかそんな気がしており、ある種のひとってのは、大変なことがあって、それが終わったあとに、それを自分にとっての今後の「普通」として処理するのかなぁ、などと思ったのである。

 

 自分なんかは、ちょっとした段差でもすぐ「無理!!」ってなって水面から鼻だけだして呼吸して、それが終わったら「ふう♡」とすぐまた元いた低いところに戻ってきて茶でもすすり始めてしまうのだが、「これは自分には無理!」とかいちいち騒がずに、「これが今後の自分の普通なんだな」として処理できるひとは、たぶんその後も成長したまんまでいられる。しらんけど。

 

 能力的なことはもちろん大前提としてあるけど、それはもう言い出したら私はんなもんほぼ全部生まれつきだと思ってるので、いまは心のありようの話をしている。

 

 「これが今後の自分の普通」と思う人は、それが今後もくることを予期して、例えば失敗から学ぶとか、二回目のためにノウハウを整理するとか、きっとまあ、そういうことをしてんだろうな。そうなるとまあ、結局スキル的な問題なのかな。自分はほんとに成長しねえなあ。自分を律する、みたいなことなのかな。その前に自分のしたいことしてないと成長もクソもねえきもするしな。「したいこと」って、漠然としすぎているしな。「したいこと」の日常には「したくないこと」もたくさんあるみたいな話をやたらしたがる人っていますよね。余談。

 

 ところで自分は「足踏み」は上手だと思っていて、つまり一度やると決めて動き出したら、あとは何も考えずにやり方を改善するなどということもなく同じことの回数をただ増やしていくだけの作業系、これはわりと継続してできる。社会人にはそんなものほとんど求められていないのがたまにキズ(大怪我)。

 

 なんというか、常に考えて、手を動かし続けるとか、「あそこの棚があんまり活用されていないからみんなで片付けよう」とか、そんなの思いもしないものね。日常で。自分の部屋さえどうしていいかわからない乱雑をそのまま暮らしているというのに。なんであんなに意思に満ち満ちているのだろう彼らは。こちとら洗濯してゴミ捨てて(これもすでにできてないときある)出勤してくらいでもう完全に息切れの日常なのに。

 

 ま、いいや。

 

 今週はリングフィットを3回、けんすいを2回。お金がないから食を減らしていたが、やはり動いて食べないと体に悪そうなので後半はよく食べた。やせることは後から考える。また飲んじゃ寝生活に戻っており、コロナで覚えた静かな日々を「新たな生活様式」として自分に落とし込んでいく必要があると思った次第。自分の生活を大事にすること。住み心地の良い部屋に住むこと。消費に振り回されすぎないこと。

 

 仕事は相変わらず下手だしできないが、英語が絡む大きめのプロジェクトに関わることになりそう。これはがんばる(漠然

 

 それにしたって、ちょっと一週間毎日出勤となっただけで、こんなに心削られる、この社会っつか会社っつか、労働っつか、なんか、すげえなぁ。こころをおろし金にかけているような毎日ですよ。

 

 来週は引き続きリングフィット2〜3回、けんすい2〜3回、ドイツ語単語、英単語。ここまで足踏みである。仕事が大変なのでそっちにいろいろ取られそうなことを覚悟してあまり私生活の目標は立てない。知り合いに自分から連絡する。IKEAにいく。部屋を片付ける(永遠の課題)。なんというか、空間的時間的なことを思い描けない脳の障害でもあるのだろうか。スパンを持った意思を全く思い描けない。なんか、人生、一つでええから、ないんかね。

 

 ま、いいや。